( ´H`)y-~~安倍首相靖国参拝


( ´H`)y-~~鬱もまだ完全回復に至ってないし、超久しぶりだけど、普通に。

さて、安倍首相が昨日靖国神社を参拝した。この件に関する反応を。




靖国参拝:韓中との関係改善は困難との判断が作用か(朝鮮日報日本版12/27)

http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2013/12/27/2013122700202.html(韓国版)

安倍首相が靖国神社参拝に踏み切ったワケ
ソウル大学日本研究所のパク・チョルヒ教授の見方は
「支持率が40%台に下落、局面を転換させるためでは」

日本の安倍晋三首相が26日に突然靖国神社を参拝したことについて、日本の政治に詳しいソウル大学国際大学院のパク・チョルヒ教授は…

(中略)

それでもこれまでは韓国と中国の反発を意識して自制してきたが、今年が過ぎて来年になれば、参拝は一層難しくなると判断したようだ

(中略)

今後も当分は関係改善や首脳会談は難しいと判断したのだろう。韓国・中国との関係改善がどうせ難しいのであれば、国内の支持勢力との約束を果たすことが、政治基盤の強化につながると考えた

(中略)

事前に通知した可能性もなくはないが、米国がこれに『イエス』と言うわけがない


( ´H`)y-~~でも、常識的には支持率に関しても保守的・右翼的なコア層の数は一定であるし、中間層を取り込むためには景気回復の実感しかないわけで、そう考えると支持率を意識したものとも考えにくい。また、アメリカからは事前に制止があったのにそれを振り切って参拝、という報道もあるが、これもボクにはよく分からないけど、もしかしたら、参拝をするのであれば、現時点での参拝が国際関係のデメリットはあるが、最もダメージが少ないという判断があったのかも知れない。


もう一つ。朝鮮日報の社説を。




【社説】靖国参拝で挑発した安倍首相、これまでの日本はない(朝鮮日報日本版12/27)

http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2013/12/26/2013122604011.html(韓国版)


日本の安倍晋三首相は首相就任からちょうど1年を迎えた26日、現職の総理大臣としては7年ぶりに靖国神社を参拝した。

(中略)

安倍首相のこの自信の背景には、アジアを重視する米国と新たに浮上する中国との対立により、自分たちに自由に動ける空間と活路が開かれたという判断があるようだ。しかし根本的に「戦争のできない国」から少しずつ方向を変えてきた日本社会が、今や「戦争ができる国」に生まれ変わりつつあり…

(中略)

歴史問題や独島(日本名:竹島)と尖閣諸島(中国名:釣魚島)の領土問題で、韓国・中国との軍事的かつ外交的な正面対決をも辞さないとの意向を明確にした…

(中略)

…すでに明確になった米日対中国という北東アジアの構図や韓国の国力を考えたときに、果たして脱線を続ける相手をむち打つ条件、あるいはその十分な能力がわれわれにあるか疑問だ。韓国政府は「これまでの日本」はもう存在せず、海の向こうの「新しい日本」が頭をもたげつつあるという認識を持ち、これまでとは完全に異なった次元で、日本に対応する方策を見いだすべき時を迎えている。


( ´H`)y-~~安倍首相にその意図があったかどうかはともかく、歴史問題・領土問題で微温的な対応は困難になり、中韓との正面対決が起こる可能性が高まったことは確かだろうと思う。

あるいはアメリカなどの友好国との関係を悪くしてでも現時点ならダメージは少なく、どのみち不可避な事なのであれば中韓との正面対決姿勢を明確にすることに何らかの意味を見いだしたのではないかとの憶測もできるが、何を考えているのか、あるいは何も考えていなかったのか、判断の妥当性、などの評価は今後慎重に観察しないと何とも言えないのではないかと思う。


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( ×H×)y-~~ボク如きには何とも言えないけど、ある種のターニングポイントになるかも知れないのでメモとして。

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(´・ω・`)y-~~廃人祭についてkimuraお兄さんよりお知らせ

(´・ω・`)y-~~さて、無事に無職生活から抜け出し、晴れてワーキングプアーとなったkimuraお兄さんですが、貧乏ヒマ無しとはよく言ったもので、年末はとても忙しいです。

…というか明日もぶっちゃけた話、仕事です。しかも、今日の休みから元日まで休みがありません。

なので、今年で10年目となる廃人祭の企画も立てられず、しかも明日も何か書いたりする気力さえ残っているかどうか、と、そんな感じです。でも、頑張ってみるよ。

*廃人祭とは:2002年にkimuraお兄さんがNAVER翻訳掲示板に「クリスマスイブにnaverをしている奴は恋人もいない人生の敗残者」というスレッドを立て、以来毎年クリスマスイブなどのイベントに合わせて非リア達が集まって楽しんできた非リアのためのお祭りです。リア充立ち入り禁止なの。

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(´・ω・`)y-~~休み休み

(´・ω・`)y-~~あまりに気分が沈み込むことが多かったので心療内科に行ったら、やっぱふつうに鬱だったので、抗不安剤とか処方してもらって、どうも休むのが一番と言うことで、ウォッチも控えめにしてます。

再開を決めたのは良いのですが、どうも正直新たに解説すべきネタというのも多くないし、大統領選挙の問題や、韓国の格差や高齢化と言った社会問題も継続して見ていかないと何とも言えない事が多いのでネタにしにくいというのもありますが、何かよほど大きなネタでもない限り、しばらくは休み休み続けたいかな、と思います。

といいますか、正直、日本国内の状況の変化の方が気にはなってます。どうなるんだろう?

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(´・ω・`)y-~~さて、困った【雑談】

(´・ω・`)y-~~再開したはいいけど、これはボクの気力の減退の問題もあるけど、本気で取り上げたいというようなネタが最近無い…

靖国参拝にしても領土問題その他の日韓関係にしても昔から変わらない同じようなネタであったり継続案件だったり、また、中国やアメリカという周辺の状況を細かく見ないと何とも言えないネタであったりするので、正直扱いにくいし、新たに何かを言う必要も無いように思う。

韓国大統領選挙関連も、思うところはあるけれども今のところは様子を見るしかないかな、と思っている。

むしろ最近はいろんな面で余裕が無くなってきている日本の国内のほうが少し心配ではある…特に政権交代後、まあまあ普通にしていれば、それなりに妥当な方向に落ち着くであろうという安心感が無くなり、やたらと中身のない主張ばかりのクラスタが大声を上げて争うようになったような気がする。

国内に関してもいろいろ思うことはあり、まとまらない考えをまとまらないまま書いてみると…「いわゆるネトウヨ」に関してメディアやアンチの側は過小評価してるんじゃないかと思う。「いわゆるネトウヨ」が圧倒的多数になることはたぶん無いと思うが、限定的なクラスタであってもその政治的傾向が堅いものであり、確実な政治参加の意思が見込まれるクラスタであった場合、その意思は現実の政治に反映される。過去の歴史を見る限りにおいてはそういうことがあったと思う。

しかしながら「いわゆるネトウヨ」的なものに違和感ないし反感を持つ、各種メディアを含めたアンチの側も、今までのところ単に「いわゆるネトウヨ」を矮小化したり批判・非難したりするだけで、有効なオルタナティブ形成の意思に欠けているのではないかと思う。この点をおろそかにする限り、「いわゆるネトウヨ」的なものの進撃を止められないのではないかと思う。

サヨク的な、あるいは韓国人の言う「良心的日本人」的なものも結局は実体のない「体制」に対する「反体制」でしかなく、力を持ったところで既存のシステムを機能不全に陥らせるだけで、今も盛んに原発関連や沖縄関連で叫んでいるようではあるが、その多くも所詮は老害のノスタルジーに過ぎない。また、様々な方向から声を上げているクラスタにしてもオルタナティブを形成する知的誠実さが決定的に欠けているため、単に既存システムの機能不全を悪化させる方向にしか進んでいないように思う。

「政権交代」が日本にもたらしたのは「談合」を排して代わりに「党争」を持ち込んだことではないだろうか?


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(´・ω・`)y-~~彼女も引き続き募集中だけど、本格的に困ってるkimuraお兄さんにネタを提供してくれる人も募集。取り上げて欲しいようなネタ・韓国その他に関する疑問をどんどんコメントしてくれたり、メールしてくれたりして欲しいの。

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( ´H`)y-~~ノーベル賞【韓国時事】

(´・ω・`)y-~~…10月11日現在応募無し…まあ…そんなに期待はしてないんだけど、現実は厳しいの。フリーの女性であれば他には一切条件は付けたりなんかしないし、まあ、寂しいkimuraお兄さんと美味しいものでも食べたりしてもいいかな、という程度でいいから応募して欲しいの…メールはnobuo-kimura@nifty.com。よろしくね。


…と、まあkimuraお兄さんの切ない望みを書いたところで再出発記念の今日のネタ。



【日本人、2年ぶり19人目のノーベル賞】(朝鮮日報10月9日)

http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2012/10/09/2012100900246.html(韓国版)


…山中教授は同日の記者会見で「私は無名の研究者にすぎなかった。(東日本大震災や経済不況という状況の中だが)国の支援がなかったら研究は不可能だったから、まさにこれは日本という国が受賞した賞だと感じている」とあいさつした



事業仕分けだとか色々あったけど、明るい話題で何より。


ただ、やはり「案の定」の反応の記事も。



【ノーベル賞:幹細胞研究で韓国に遅れの日本、科学者育て逆転】(朝鮮日報10月10日)

http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2012/10/10/2012101000204.html(韓国版)


…韓国の「黄禹錫ブーム」をうらやましく思っていた日本は、山中教授に50億円を上回る研究費を投入、世界の幹細胞研究をリードした。その一方で黄教授の研究捏造が発覚し「黄禹錫ショック」に陥った韓国では幹細胞研究への投資が米国の30分の1、日本の5分の1に落ち込んだ。



( ´H`)y-~~案の定、黄禹錫ネタを絡めてくるか…みたいな。


たぶん、2ちゃんねるとか日本のネットでもこの記事、話題になってるとは思うけど、kimuraお兄さんは韓国版コメント欄から韓国ネチズンのコメントを拾ってみるよ。


チェ・チャンシク(acebre****)

記者が何を分からなくてそうしているようだが山中教授はファン・ウソクに比べてはるかに先んじていた研究者だ。 ファン・ウソクが先んじたのがいるならば全世界研究者中人間卵子を豊かに供給されたというノウハウを有していたとのことだけだ。 山中が概念を構築する研究者ならばファン・ウソクは技術者に過ぎないという言葉だ。


アン・キフン(jungg****)

ファン・ウソクが国庫をだめにして詐欺を働いても特別な処罰なしで研究を継続するということが韓国がどれくらいシステム的に問題があるのか見せる事例だ。


キム・サンヒョン(ki****)

我が国は死んで目覚めても科学、医学系統でノーベル賞受けられない。 なぜ? 誰が少しでも有名になれば人民裁判式でその人の傷を掘り起こして引き下ろしてこそ気がすむためだ。 いとこが畑を買えば腹が痛いためという乞食、ただ、北朝鮮が存続する限り平和賞は追加可能だと見られる。


ユン・ビョンス(byun****)

この記者たちは幹細胞の定義から勉強をしなければなりませんファン・ウソク博士が韓日は人卵子で核抽出後体細胞のヘグ置き換える新規性がない技術です。 すでに今年晨夜山中教授と共同受賞したオックスフォードの手伝った教授がおたまじゃくし卵をカエルに卵子に入れてカエル複製をした1960年代にすでにしたことでクローン羊のドリーを作ったウィルムトゥ教授が2000年度初めには既に成功した技術です。

不法卵子提供のようなモラルハザードは今言う必要がなく、日本の成体幹細胞に対する深める学問は東京大学、慶応大学、京都大学、大阪大を中心に、ファン・ウソク博士、通常の技術移転数十年前から世界最高水準だった今でも成体幹細胞基礎と応用では、少なくとも韓国より10-20年は先にあります。米国は30年は先にあるんです。大衆に "事実(Fact)を知ることです"それでは公正な社会され



…まあ、昔は熱狂的なファン・ウソク信者が暴れてたけど、最近は韓国メディア記事の煽りより、韓国ネチズン側にもクールな意見が出てくるようになった、というのもまた最近の韓国の現実ではあるの。


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(´・ω・`)y-~~kimuraお兄さんの再出発を温かく見守って欲しいの。

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( ´H`)y-~~ボクの話(2)…というか木村幽囚記再開のお知らせ

( ´H`)y-~~パパが亡くなったあとは昼間のバイトもぼちぼち始め、忙しくはなってきたけど、ボクの心は止まったままだった。というかその何年も前から何を見ても大して面白く感じられないという状態だったのだけれども、特にここ数年、世界は灰色。収入の方は多少はマシにはなったけど、それでも世間一般からすれば十分貧困。先の希望など全く見えないし、年齢的に言ってもいろんなことを常識的には諦めざるを得ない状況。

でも、まだ全てを諦めるには残された時間はちょっと長すぎる…そんな中途半端な状態。これからは自分のために自由に生きよう、そう思っても大して力が出ない…人間、自分のために出来ることなんかたかが知れてる。まあ、そこそこ美味いものも食ったし読みたい本だって読んだ。客観的に見てボクが世の中の役に立つようなことも無いだろうけど…それでもボクは止まった時間をもう一度動かしてみたい。

やりたいことだって…今までやれなかったけど、これからやってみたいことだってある。特に、今は忙しいけど多少仕事の整理がついて休みが取れるようになったら、旅行にだって行きたい。国内あちこちの知り合いのところとか、海外…特に韓国には実は一度も行ったことがないので行ってみたい。

恋愛だってしたいと思っても、過去の状況じゃ無理だと思って諦めてきた…プロフィールにも「独身:ただし彼女も嫁も募集してない」とブログ開設当初から書いていた…まあ、第一相手がいないし出会う機会も完全になかったわけだが。でも、年齢的にも収入的にもこれから成功する可能性は絶望的なんだけど、世間で言う「婚活」を始めてみたい。

手始めに木村幽囚記のプロフィールを少し変えて「独身:彼女募集中」にしてみた。…応募はないと思うけど、いきなり取って食おうってわけじゃないし、ヒマな人は軽くお話でもするつもりでコメントとかメール下さいwww

実際は地元の催し物とかイベントとか…そういうのに顔を出すようにしてみる…と言う程度しか出来ないと思うし、良い結果に結びつく可能性もほとんど無いと思うけど、何もせずに死んでいくのはちょっとイヤかな、みたいな。

やってみた結果が、「こたつの中でミイラになってるところを発見」されたり「山奥に乗り捨てられた中古車の中で白骨化した行旅死亡人として発見」されるような最後だったとしても、やらないよりはマシかなと思う。

さて…韓国だって…今や大多数が「自分の信じたい物語」に都合が良いネタしか求めなくなってボクのブログになんか需要はない…そうも思うけど、例え少しでも普通に韓国のことを見てみようかなと思う人が居るなら、ボクもそう言う人たちと一緒に韓国ウォッチを続けていきたい。

長らく止まっていたボクの時間を少しだけ前に進めたい…パパの3回忌、ママの13回忌、そして韓国ウォッチ10周年を迎え、これをひとつの区切りとして、このブログ、木村幽囚記で韓国ウォッチを、ペースはずっと遅くなるけど、少しずつ再開していくことにします。

今後もよろしくお願いします。

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( ´H`)y-~~ボクの話(1)

( ´H`)y-~~さて…賢明な読者諸君ならお気づきかも知れないが…パパが入院してボクが島に戻った時期からボクの韓国ウォッチは続いている。

その当時、家庭の事情でそうそう島からも離れられず、定職にも就かずに家事とか看病とかしていたボクの楽しみはインターネット…特に2002年、日韓ワールドカップと言うことで韓国が話題となることが多くなり、その当時、ボクは韓国についてほとんど何も知らなかったし、心の大きな空白を埋めてくれるものなら韓国でなくても良かったんだけど、何となく見始めた日韓翻訳掲示板にボクは夢中になった…別に嫌韓とか親韓とか関係なくても小豆島にいながらにして、外国語なんか全然分からない一般人でも外国人と会話が出来る。ただそれだけで面白い…その時はそう思えた。

でも、当時の韓国ネチズンというのはそれはひどかった…「いわゆる嫌韓厨」「いわゆるネトウヨ」が今も盛んに訴えている韓国人の反日ぶりについてもこの当時に限れば、言い訳のしようがないくらい当てはまっていたと思う。そして、少しずつ素人に出来る範囲で調べ初め、韓国についての知識を蓄積し始めた。その後の歩みは木村幽囚記の初め頃から読んで貰えると分かると思う。

韓国に対する感情も変わってきた…いわゆる嫌韓の時代も乗り越え、熱も冷めてきたが、それでもネットを通して韓国を知って、そのことを伝えていきたいと思ってブログを続けてきた。

正直、「いわゆるネトウヨ」のみなさんが怒り狂う気持ちだって分かる…でも、最近、嫌韓になったとか、そう言う人が「お前は韓国の真実を知っているのか!」とボクに言い寄ってくるのはちょっと困る…

「ボクはたぶんまだ何も分かっていない…でも、そういう君は原爆の日に被爆者画像と罵倒であふれる掲示板の惨状を見たことがあるのか?10年単位で韓国メディアをほぼ毎日ウォッチし続けてきたか?日韓歴史論争で執拗に日本の歴史認識を非難し続ける韓国人を相手に一晩中徹夜で相手して来たことがあるのか?…ボクはある。でも、分からない」

でも、いつの頃からか韓国を知ろうとする人はものすごく少なくなり、かわりに「嫌韓という物語」を強化するのに都合が良いネタばかりを求める…そういう考えることを放棄した…昔のハン板で言えば「韓国面に落ちた」人たちが増えてきた。…それに対するアンチというのも生まれ、今も盛んにネットで罵りあってるけど、そういうアンチ嫌韓クラスタの大部分にしても結局は「自分が信じたい物語」に都合が良いネタに飛びつくだけで、誰も韓国の現実を知ろうなどとはしていないんじゃないか…

…何年も前からブログを更新する気力も萎えていたけど、とどめになったのがパパの死で生活が激変したこと。昼間の仕事もぼちぼち始めて生活を立て直して…賢明な読者諸君ならお気づきかも知れないけど、「ボクのパパの話」を始めたのがちょうどパパの49日が終わった頃。そして、今年はパパの3回忌とママの13回忌が重なる年…ここ数年、ブログの更新どころか生きる気力そのものが無くなってきて、もうブログもサイトも閉鎖してしまおうかと思っていた頃もある。

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( ´H`)y-~~ボクのパパの話(11)

( ´H`)y-~~パパが入院してから何年も何年も同じようなことの繰り返しだったような気がする。
毎年、具合が悪くなると医者に病状を説明され、暗に最悪の事態を覚悟するように言われ、でもパパはがんばり続けて、少し回復…そんなことの繰り返し。

その間、ずっとギリギリの生活を続けた。パパの命も綱渡りだったけど家族も綱渡りだったように思う。でも、そんなことを繰り返しながら段々とパパの様態は悪くなり、人工呼吸器で安定させる時間が長くなって、体力も弱って体の動きが少なくなり目を開けて反応することも少なくなってきた。

入院してすぐに気管切開をしたので会話が出来ずコミュニケーションには苦労したけど、それでも家族だから表情で何を言いたいかはだいたい分かったし、目の色というか、そういうのでずっと意識はしっかりしているというのも分かり、それが辛かった。

景気も雇用もよくない時代…再就職もボクの年齢とかを考えると難しくなってきて、ちゃんとした人生をやり直すのは無理になってきていたけど、「どうせちゃんとした仕事には向いてない性格だし~結婚とかもどう考えても向いてないし~一人で気楽に生きて行ければいいし~」…と、この頃は自分でそう思っていたし、何よりも自分がそうしたいと思ったことをしているだけだと思っていた。

もうほとんど反応を示さなくなったパパを見て…ボクはたとえ目を開けなくても、寝たきりでも、とにかく、ただ生きていさえしてくれればいい、ボクの人生なんかどうとでもなる…そう思って過ごしてきた…が、そんな日々にも終わりがやってくる。

夏の暑さがようやく去って涼しい風が吹くようになった頃の早朝、病院から様態が悪化したので来るように言われた…が、ボクと弟が病室の近くに着いたとき、いつも動いていた人工呼吸器の音がしないこと気がつき、その時ボクらは全てを悟った。

パパに関する記録…戸籍の最後にはこう記されている。

【死亡日】平成22年9月○日
【死亡時分】午前6時50分
【死亡地】香川県小豆郡○○
【届出日】平成22年9月○日
【届出人】木村延夫

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( ´H`)y-~~ボクのパパの話(10)

( ´H`)y-~~さて、ママが亡くなってから数年。ボクは島外で仕事しながらしょっちゅう実家に帰ってごはん作ったりしてたんだけど、実家ではパパと弟の2人暮らしで限界が見え始める。
平成14年の初め頃、パパは肺炎になって入院。その時点で肺の半分以上が機能していない状態だったので、弟だけではどうしようもなくなってきたので、ボクは島に戻ることにした。

戻ってもいい働き口はなかったし、それに看病とか家事の都合があったのでしばらく再就職は諦めてパパの回復を待つ…つもりだったんだけど、医者から遠回しに長く持たないと言われる。

パパが肺梗塞になったのはボクが大阪に住んでいた頃、今から20年ぐらい前。だから入院した時点で在宅酸素を続けてかなりの年数がたっていて、医学的、統計的には、この病気で生きられる限界が近づいているという話だった。酸素を供給するのはいくらでもできるけど問題は二酸化炭素の排出で、二酸化炭素の濃度が高くなると、いろんな問題が出る、という事だったと思う。

記憶で書いているのでこのあたりの話は曖昧だけど、確かに初めの頃、まだ体力があったパパは二酸化炭素濃度が高まって錯乱状態になりチューブや点滴を引き抜いたりするので看病も大変だった。

でも、その後、人工呼吸器を使って二酸化炭素を排出したり、体調がよくなると自発呼吸も回復したり、起きあがって自分でごはんを食べたりできるようになったりしたけど、退院には至らなかった。

長く持たないように言われたのに、パパの肺はがんばり続けた…問題はボクの方。

パパの調子にも波があって、寒くなってきたりすると、体調が悪化して食事介助が必要になったり、病院から呼び出されたり、主に医療型の病棟にいたので、おむつを購入して病室に持っていったり、家事や買い物、看病、見舞いの都合で昼間は開けて、時間の融通が利くバイトをするしかなくなったわけだけど、弟の収入やら色々合わせても家計は常に苦しくて、特に個室に移らざるを得ないほど悪化したときはなんとか借金せずに済むという程度。

ボクも弟も精神的にもかなりギリギリの状態だったと思う。

この頃、ボクたち一家を支え、励ましてくれた人も沢山居るけど、みなさんには感謝したい。

特に、今はもう連絡が取れなくなってしまった人たちにはこの場を借りて感謝の気持ちを示したい。

あの頃、生きる希望を与えてくれて、本当にありがとう。

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( ´H`)y-~~ボクのパパの話(9)

( ´H`)y-~~今回も「ボクのパパの話」と言いながらも「ボクのママの話(3)」
ボク的につらいので、出来るだけかいつまんで一気に終わらせようと思う。

まあ、その後、ボクが大阪の学校に進んだり、その後、ボク的に今でもあまり整理できてない人生の谷底を経験したりといろいろあったわけだが、その間はパパが呼吸器系の疾患(肺梗塞)で倒れて大変だったり、その後、障害者手帳貰って在宅酸素を続けたりとそれなりに大変ではあったけど、チューブさえつながっていれば買い物も家事も普通に出来たし、ママも一病息災って感じで安定した生活だったわけだ。やがてボクも島の外の会社に就職してそれなりにやってたんだけど、数年後、ママの方に問題が。今度は乳ガンが見つかり手術することに。術後、何故かパパじゃなくてボクが主治医に呼ばれてこう告げられた。どうもパパは話が通じる状態じゃないと思われていたらしい。

「手術では取りきれず、放射線・抗ガン剤での治療を継続します。予後は非常に悪いものと思われます。一般的な余命は2年です」

それから数年間、出来るだけ頻繁に実家に帰ってごはんを作ったりするという日々が続いたが、やはり悪化。切除した乳房はケロイド状のままいっこうにふさがらず、毎日パパが消毒して包帯を巻くという状態。ふさがるどころかどんどん広がり、最終的には胸の皮膚が全部なくなり下の部分が赤く露出し、片腕は象のようにむくんでガンは肺にまで広がり酸素ボンベでやっと呼吸が出来るという状態に。それでもママが望んだので可能な限り自宅で生活し、これまた在宅酸素療法中のパパが世話をしていた。この世話はパパは子供にも絶対やらせようとしなかったし、ママも望まなかった。

でも、やがて入院せざるを得なくなり、入院の時、パパはママのために新しい靴と服を買った。退院の時はこれを着て、と。

何か少しおかしい、と感じた。やがて、医者からもって数ヶ月と告げられママの知り合いあちこちとボクが連絡したけど、どうも様子がおかしい。…パパはこの状態でもまだママが治って家に戻ってくると信じていた…念のために言っておくけどパパは最後まで正気だった…ただ単に絶対に「ママが死ぬ」という現実を受け入れようとしなかっただけで。いや、もっと言えば、その現実をママの最期まで拒絶し続けた。あるいはその後でも拒絶していたのかも知れない。

結局、ママは医者が告げた期日よりだいぶ長く生きたけど最期の日が来る。様態が悪化したという電話を受けてボクは急いで島に帰ったけど間に合わなかった。

病室でパパはしばらくうなだれていたんだけど、まだママが袖を通していない洋服を取り出して「お前、これを着て一緒に家に帰るて言うたやないかー」と言って号泣し始めた。その後、式が終わるまで時々パパは人目をはばからず号泣。ちなみにそんなにお堅いパパじゃなかったけど、パパがボクの前で、あるいは人前で涙を見せたのはこの時が最初。そして、最後になった。

この時、ボクは涙も出なかった。別に親子の情愛が薄かった訳じゃなくてむしろその逆。特にママにはボクは溺愛されて育ったし、ボクもいつまでも若くて綺麗なママが好きだった…というか賢明な読者諸君なら既にお気づきの通り、極度のマザコン。後に昔の朝鮮では孝行の証に親の最後の時が近づいたら自分の太ももとかから肉を切り取って親に食べさせるとかそう言うようなこともあったと聞いたけど「そのぐらい余裕で出来るな」と思ったものである…この時出なかった涙を今流していたりする。

でも、親子でも入っていけない世界がそこにあったように思う。

戸籍には「平成12年6月○日午後1時30分香川県小豆郡○○で死亡同日親族木村○○届出除籍」と記されている。

昭和40年に結婚。その後、ボクが生まれてから最後までパパとママはお互いのことをパパ、ママと呼び合っていた。中学生の頃はイヤだったけど大人になって諦めた。ママは病室で「3日ともたんといわれたけど、長い3日やったなぁ」と言った。

単なる恋愛じゃなくて長い時間をかけて培ったこれを愛というなら、ボクはこれからの人生で誰か一人をここまで深く愛せるのだろうかと思う。

ずっと貧乏だったし、出来の良い子供にも恵まれなかったし、病気でずっと苦労しっぱなしだったけど、それでもたぶんママは幸せだったんだろうと思う。

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