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( ´H`)y-~~おおっ!ウォンまであるぜ!

( ´H`)y-~~…

例によって、タイトルに深い意味は無い。

朝鮮半島の「貨幣」については、色々な人がネタにしていると思うが…

今日はとりあえず連合ニュースの記事から。




http://www.yonhapnews.co.kr/news/20050708/040301000020050708050023K6.html

競走で 日江戸時代小銭 '官営通報' 出土
国立慶州文化再演旧ソ 97年調査性と公開



(ソウル=連合ニュース) 金胎息記者 = 国立慶州文化再演旧ソが去る 97年に 発掘調査した慶北慶州市西部洞 19番(回)一帯遺跡で日本江戸(江戸)時代に 鋳造されて 広く使われた小銭である官営通報(寛永通宝)が出土されたことで一歩遅れて明かされた.

中略

研究所はこの西部洞遺跡で官公署に貢納するための粉青沙器が多量で 出土されたし, 朝鮮末期までこちらに監獄施設が存在した点と競走が釜山とソウルで 繋がれる朝鮮の対(対) 日本逆路に位する点等で延ばしてこの官営通報は 朝鮮後期に成り立った二つの国間交流の副産物で春が妥当だと説明した.




要は、日本で江戸時代に使われていた寛永通宝が韓国の慶州で発掘されたというニュースである。
「朝鮮後期に成り立った二つの国間交流の副産物で春が妥当」 というのは、そうなんだろうなとは思うけど、kimuraお兄さんはちょっとうがった見方をしてしまうわけだ。

先ず、お兄さんが過去に書いた文



( ´H`)y-~~驚愕!朝鮮の貨幣の実態!


http://www1.u-netsurf.ne.jp/~sirakawa/C025.htm
より。


高麗時代


●布貨(麻布)

朝鮮の貨幣で特色があるのは、布(麻、のち木綿)がそのまま貨幣として機能していたことです。 

しかも、19世紀ころまでの1000年以上も絶え間なく使用されていたのです。

布には政府の決めた基準あり、縦糸5升(1升は縦糸80本)で長さ35尺が1反、2反で1疋(匹)でした。

この頃の奴婢の値段は、成人男子で布100疋以下、成人女子は120疋と定められていました(女性の方が高い!)。 奴婢は全人口の1割くらいいたそうです。

王朝の末期の14世紀になると、縦糸の数が少なくなり、3升布、2升布などが出現しました。
 まるでガーゼのようで、本来の「布」としての機能を失い、象徴的な貨幣となりました。


朝鮮時代

1392年、高麗王朝の将軍李成桂がクーデターを起こし、「朝鮮」王朝を建国しました。 「李氏朝鮮」とも呼ばれています。 首都は漢陽(漢城、ソウル)でした。

17世紀には500万、18世紀には700万の人口に増加しました。
建国当初にハングル文字を創製し、また高麗青磁とならぶ李朝白磁を生み出した国です。

●布貨(綿布)

貨幣の主役は依然として布でした。 ただし、1364年ころ、元より木綿の製法が伝わり、素材は木綿になりました。

●楮貨

1391年(1401年、1410年?)、楮(こうぞ)の紙で作成された貨幣が発行されました。 「楮貨」と呼びます。 宋や元の紙幣に見習った、一辺が30~50cmの大きな紙幣です。

当初は1張(1枚)で米2升くらいしていましたが、だんだん価値が下がり、2、30年後には1/3升くらいにまで低下しました。
楮貨は、数十年で使用されなくなりました。

●朝鮮通宝




銅質はこの時代の明や日本の貨幣に似ています。
書体は明の銭を真似ています。
3.4g 23.5mm

1425年、「朝鮮通宝」を発行しました。
銅銭1枚=楮貨1張=米1升(0.9リットル)の公定価格を決めました。 しかし、銅銭1枚=米1升というのは、当時の中国や日本の物価(米1リットル=5~10文)と比べると、銅銭の価値を高く設定しすぎています。 そのためか、朝鮮通宝は長く使用されませんでした。

1429年に来日した朝鮮通信使は、その報告書の中で、

「銭が盛んに用いられ、布や米による支払いを凌駕している。だから、千里の旅をするものであっても、ただ銭貨を帯びるだけでよく、穀物を携帯しなくてよい」

と、日本で銭が盛んに利用されていることに驚いています。

●常平通宝

常平通宝 折二
背の「平」は、鋳銭所の平安監営を表わしています。
6.1g 29.8mm

1633年、「常平通宝」が発行されました。当初は無背(背に字がない)でしたが、1678年には発行所を文字が1字つけられました。 ただし、いずれも発行量は多くありません。

1679年から、当二銭が発行され、その数はこれまでとは比べ物にならないくらい大量でした。 やっとこのころから商品貨幣経済が発達し、鋳造貨幣の使用が一般化したのです。

1752年には中型のものが、さらに1778年には小型の当一銭が発行されました。いずれも大量でした。

1866年、時の権力者大院君が景福院重建のために当百銭を発行しましたが、100文では通用せず、2年後に回収されました。
また1882年には、開港後の財政難を補填する目的で当五銭が発行されました。


まぁ、これだけでも言いたいことは充分伝わるとは思うが、だめ押しに、イザベラ・バード「朝鮮紀行」 より、李氏朝鮮の貨幣経済の実態について紹介。




http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/nikkan/heigouji-chousen.html

イザベラ・バード 93-94頁 南漢江(なむはんがん)旅行に際して

「通貨に関する問題は、当時朝鮮国内を旅行するものを例外なく悩ませ、旅程を大きく左右した。日本の円や銭はソウルと条約港でしか通用しない。銀行や両替商は旅行先のどこにも一軒としてなく、しかも受け取って貰える貨幣は、当時公称3200枚で1ドルに相当する穴あき銭以外になかった。この貨幣は数百枚単位で縄に通してあり、数えるのも運ぶのも厄介だったが、なければないで又それも厄介なのである。100円分の穴あき銭を運ぶのに6人の男か、朝鮮馬1頭がいる。たった10ポンドなのにである。」




まぁ、「貨幣経済」がろくすっぽ機能していなかったわけで…


ひょっとしたら半島では江戸時代の日本の銅貨のほうが値打ちがあったんじゃないか?

案外知られていないけど、江戸時代の日本の銅は、当時、アムステルダム銅市場での銅価格の操作手段としてオランダによって利用されたりとかもしていて、世界的に流通していたらしいし。

http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_23.htm


( ´H`)y-~~

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