( ´H`)y-~~韓国のクリスマス【備忘:文化】
( ´H`)y-~~さてさて、韓国では意外なことにキリスト教系の宗教が多い。なんでも人口の四分の一がキリスト教系なのだそうな。その関係か、韓国ではクリスマスは休日なのだとか。
実は、韓国とキリスト教にはそれなりに深い歴史がある。
朝鮮半島におけるキリスト教の信頼できる最も古い記録は、朝鮮出兵時にキリシタン大名小西行長が宣教師を連れて行ったというものがある。
しかし、朝鮮半島においてキリスト教が深い意味を持つようになるのは18世紀のこと。1784年に北京に滞在していた外交官の息子、李承薫は、自ら当時北京にあった教会に赴いて洗礼を受けた。李承薫は中国からの書物でキリスト教の存在を知っていたと考えられている。
宣教師の渡来無く、キリスト教が普及した例として知られている。
朝鮮半島におけるキリスト教は、後に大院君により迫害を受け、多くの殉教者を出す。
…ところで、この関連で、昨日enjoy korea翻訳掲示板でスレッドが立った。
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&page=14&nid=1805316カトリック歴史で空前絶後した宣教師による電波ではない自生的に成り立った韓国カトリック教会
…
1779年(情調 3年) 権哲身・定約前(丁若銓) など 記号地方のナムイン学者たちが光州の天真癌(天真庵)と主語社(走魚寺)で実学的な認識を深くして新しい倫理観を模索しようとする目的の講学回(講学会)を開いたが, この時彼がカトリックに対する知識を仲間学者たちに伝えられ, 後日我が国で自生的にカトリック信仰運動が起きるようになるきっかけを作ったと知られている.
1784年李昇薫が中国に 書状官に行くようになった時李壁が彼に零細を受けて来ることを頼んで, その手続きをよく教えた. そして李昇薫が洗礼を受けて多くのカトリック書籍たちを持って来ると, また彼から洗礼を受けて正式でカトリック信者になった. 以後ソウル水標橋(水標橋)に家を用意して教理を深く研究する一方, 交情が厚い両班学者と姻戚たち及び衆人階層の人物たちをいちいち捜し回りながらカトリックを全校こんにちはだった. この時洗礼受けた人々は権哲身・権一身・定約前・丁・ヤクヨン・李允下(李潤夏) などナムイン両班学者たちと中の金凡愚(金範禹) などだった.
その後カトリックの意識や全校のために教壇組職と教職者がいなければならない必要性を感じて, 他の信者たちといっしょに我が国の最初の教壇組職であるいわゆる ‘仮声職磁界級(仮聖職者階級)’を形成した.このような教壇組職は自発的に収容された韓国カトリックの真面目を見せてくれるのだった.
中略
彼は キリスト教思想と東洋留学思想が結合された倫理と規範を提示したし, それは後日韓国カトリックが類例ない大迫害を勝ち抜けることができる思想的基盤になった.
要は韓国人的には、
< `∀´>ウリナラのカソリックは世界で唯一、自生的しますね。ホルホルホル
と、マンセーしたいわけである。
これに対するzeong氏の突っ込み。
zeong :叙階の秘蹟も無しに聖職者を自称、聖書を独自解釈。明らかに異端であります(笑)zeong :これが韓国「カトリック」の祖、というのであれば、成程と頷けるものがある。独自解釈の血脈はここより生ずるかと。いっそ、「韓国国教会」とでも名前を変えて独自路線を歩めばよいものを(笑)
…確かに「キリスト教系の宗教」と言うんなら許容はできるが「カソリック」と言うには明らかに異端だよなぁ。…でも、韓国にも枢機卿がいるぐらいだから、教会ではどう処理しているか気になるところではある。
ところで、韓国で何故にキリスト教が受け入れられたかについては深い理由がある。…韓国関係でよく引用されたりする「苦難の韓国民衆史」(咸錫憲著)には、以下のような記述がある。
以下、よく知られているKorea の風に「苦難の韓国民衆史」が上げられているので紹介してみる。
http://uchimurakorea.hp.infoseek.co.jp/koreawind/Ham_Sok-hon/kunan_index.htm
…ところがわが国の宗教はどうであったかというと、仏教においても儒教においても新しいものは期待できなかった。目覚めるというのは民衆が目覚めることで、要求されるのは民衆の宗教だ。ところが儒教も仏教も完全に民衆を離れて特権層のものとなっていたし、特権層と一緒に腐ってとても民衆の胸を揺り動かす力がなかった。民衆が求めているのは新しい良心である。二つの宗教が特権層と結託し、民衆の良心を麻痺させていた。
中略
「伝道の歴史を繙(ひもと)くと、いずれの世如何なる国においても、伝道者がまず渡来して、弘法が開始される。しかるに神の摂理は如何に玄妙なることぞ。何ら直接の伝道なく、朝鮮教会が創始されたということは全く特筆に値する」(楠田斧三著『朝鮮天主教小史』)と述べている人もいるが、この事実はわれわれがこれまで見てきた韓国史と照らし合わしてみる時、そこには実に深くて大きな意味があることがわかる
中略
われわれの場合、はじめからまったく世の中を救
済し、人生を救済する真理として、研究対象として始まったのであり、ついにこちらから頭を下げて洗礼を求めるようになったということは、単に教会史においてだけでなく、一般歴史を理解するうえでも忘れてはならないことである。これは韓国人が特に哲学的・宗教的素質に恵まれてそうなったのでもなく、韓国の思想がキリスト教に近いからというのでもなく、ただ、韓国人が自分の置かれている環境がわらをもつかむ状態に陥っていることを知っていたからである。それよりも摂理の手がそのようにしむけたというほうが正しいだろう。
…要は、李氏朝鮮では民衆を救う新しい宗教の需要はあったのに供給が無かったからキリスト教が求められたということらしい。
…以下はちょっとめんどくさい話になるので読み飛ばして貰って良いけど、「民衆を救う」とは書いたものの、これを韓国的に言うと「恨を解く」(ハン・プリ)ということになろうかと思う。…前々から良く引用する「朝鮮民族を読み解く」(古田博司著)には「恨」について以下のような記述がある。
…筆者に言わせればそれは、「伝統的規範からみて責任を他者に押し付けられない状況のもとで、階序型秩序で下位に置かれた不満の蓄積とその解消願望」である。
…説明するのが難しい「恨」ではあるが、最も簡潔に表してある文章だと思う。…古田博司氏によれば、韓国(朝鮮)の宗教においては、この「恨」を解くことが求められるという特徴があるのだそうな。言い換えると、朱子学的な「道徳」である「理」がその世界の基本法則となる「ウリ世界」において、その法則に従う限りは解消されない欲求不満を解消する機能が韓国の宗教には求められるのだとか。…しかも、困ったことにこの「ウリ世界」というものに拡大傾向があるわけで…韓国の「宗教」には、(ご存じの方も多いとは思うが)いろんな「問題」がある。
このあたり、細かくなってきたので、いずれ「恨」や「韓国カルト」などのエントリーを別に作って説明したいと思う。
ま、韓国の宗教においては日本や世界の他の国とはまた違う事情があるのは覚えておいた方が良いかも知れない。
(´・ω・`)y-~~韓国の諸問題というのはそれぞれ絡み合っているので取り上げにくい。
takeshima dokdo dokto tokdo tokto(竹島(takeshima)プロジェクト参加中)