( ´H`)y-~~朝鮮日報東京特派員・鮮于鉦記者【備忘:時事】
( ´H`)y-~~なんか、朝鮮日報日本語版のサイトがリニューアルでURLが変わったよ!
( ´H`)y-~~困ったことに過去記事のURLまでかわってるけど、しばらくの間はジャンプするみたいだし、面倒なので、各エントリーの訂正はしないのでよろしくね。
では、早速、そのリニューアルした日本語版から軽いネタを一発。
【「名字は“朴”が最高」 名字自慢で殴り合いに】(朝鮮日報3月29日)
( ´H`)y-~~「たかがその程度で」という気がしないでもないが、韓国人にとってはけっこう大きな問題らしい。あと、韓国では「名字」という家族の名称ではなく、「氏姓」という氏族の名称なので、これは日本語版の間違いかな?
さて、今日はkimuraお兄さん的に面白いネタもなかったので、朝鮮日報のハンサム特派員鮮于鉦(ソンウ・ジョン)記者の話を。
韓国では1文字の氏姓に2文字の名前というパターンが多いが、鮮于鉦記者の場合、「鮮于」が氏姓である。韓国では珍しい2文字の氏姓なので、「ソン・ウジョン」ではなく「ソンウ・ジョン」が正しい。
ネットではけっこう電波だとかいう人もいるが、中央日報のオデヨンという伝説の記者の記事も見てきたkimuraお兄さん的には、もう全然小粒。
というか、あれで社会学的アプローチとか、政治・経済分野とかでは、日本の記者でもそうそう居ないぐらい鋭い記事を書くこともあるので、バカネタとして取り上げることはあまり無い。かなり知日派と言えると思う。
先日、ヒマだったので「鮮于鉦」を韓国語で検索してたら、こんな文が見つかった。
原文
http://newsroom1.chosun.com/newsroom/MemberView.html?id=jsunwoo&rootname=%C6%ED%C1%FD%B1%B9
名前 : ソンウ・ジョン
部署 : 経済科学部
家で猫を一匹育てています。 城南(ソンナム)モラン市場犬の肉家で1万5千ウォン与えて生きたことなのにどんなに可愛いかわかりません。 血統も不明でまだ大小便を正確に分けられないが、身代金に比較すればそのように感心な方です。 私は犬より猫が良いです。 高くもないのが魅力があふれます。 韓国猫も日本猫だけに接待を受けたら良いです。
中略
ア、そして私は日本という(のは)国が好きです。 国際部にある時1年の間東京で研修をしながら日本の人々が猫をとても愛することを見て人々も好むことになりました。 日本に対して関心があった方々もメールを下さい。
( ´H`)y-~~おそらくはちょっと前のプロフィールなんだろうけど、写真も似てるし、間違いないと思う。
猫が好きらしく「家で 猫を 一匹 育てて あります. 城南 牡丹市場 拘肉 家で 1 万5 千ウォン 酒庫 山 のに どんなに 可愛いか 分からないです. 」と書いてるけど、バカじゃ無ぇ?全く。kimuraお兄さんが飼っているねこがどれだけかわいらしいか知らないからそんなことが言えるのよ。(笑)
最近では朝鮮日報系の週刊誌、週刊朝鮮にこんな記事を書いていた。
原文
http://weekly.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/27/2007022700748.html(週刊朝鮮2月27日)
[鮮干正義ゴンニチと, 東京] 青春の偶像だったヒロコとカン・スヨン
高等学生時代私の机引き出しには雑誌がいっぱい積もっていた. ‘ロードショー’という主に西洋映画を紹介する日本雑誌だった. 腹が黒い男をひくため ‘未成年者観覧禁止’ 映画写真で雑誌中にポイントを与えたせいに高校生が本立てにさしてみるにはちょっとはらはらした. それで鍵が走った秘密引き出しに雑誌を常に仕えた. しかし私が ‘ロードショー’に貪溺したことはエッチな写真のためではなかった. 率直にそうだ.
雑誌中間をちょっと割いた日本映画面で偶然に私の青春の偶像を見つけたからだ.
名前は ‘ヤクシマでヒロコ’. 1980年代初盤日本でヒットをした ‘セーラー服と機関銃’と言う(のは)映画主人公だ. ‘80年代ピール’の題目そのまま機関銃を乱射するセーラー服女子高生の姿は常に空想に喘ぐ男高校生の思春期ホルモンを刺激するに十分だった. 1964年生まれ. 三歳の上お姉さん程度だったが私は毎日夜ヒロコを画用紙に描く, それでも直星が解けなく油絵キャンパスに彼女の姿を彩色した.
(後半省略)
( ^H^ )y-~~「 しかし私が ‘ロードショー’に貪溺したことはエッチな写真のためではなかった. 率直にそうだ.」 というのはウソじゃ無ぇかと思うが、そんなに薬師丸が良かったかぁ…でも、その何だ…めちゃめちゃボクと同世代。
(´・ω・`)y-~~…
もうちょっと知りたくなって更に検索すると、こういう事が分かった。
http://www.koreapr.org/resource/column_view.php?no=74&start=240&mode=&field=&s_que=より
(参照でハンサムな外貌のソンウゾング記者は朝鮮日報主筆と同時に花火の作家だった 故 鮮于輝さんの息子です)
他にも
http://blog.naver.com/beyondui?Redirect=Log&logNo=130006405301
とかで同じ記述もあったし、たぶん間違いないと思うけど、お父さんの鮮于煇氏も朝鮮日報の記者だったらしい。
同時に小説家でもあったそうで、アマゾンとかで調べると「火花」などの著作が入手可能なのだそうな。また、司馬遼太郎などとの座談会も「日韓ソウルの友情」として本になっている。
「火花」の著者略歴には以下のようにある。
1922年平安道定州生まれ。京城師範学校卒業後、新聞記者などを経て作家となる。1957年本書収録作「火花」により東仁賞受賞。他に「鬼神」「旗のない旗手」など著作多数。1986年逝去
( ´H`)y-~~1986年に亡くなられたのか。
さらに「鮮于煇」で日本語サイトを検索すると、こんなURLが見つかった。
http://www1.korea-np.co.jp/special/s-korea/kcia980427.htm
…―70年代半ば頃から朴政権は「世界」や朝日新聞を含め日本のマスコミ全体に対し、脅迫から懐柔政策に転向。かなり大掛かりな工作がこの頃から始まったとされる。それについて「金大中政権の浮上と新しい南北関係」(鄭敬謨、「粒」第27号・98年2月21日)に詳しい記述があるので引用する。
中略
鄭 …こういった広範な工作を背後で操っていたのが、朴正煕の飲み友達であり、その交遊関係にあやかってか当時の言論弾圧を一手に引き受けて異常なまでの権力を振るっていた鮮于煇(朝鮮日報主筆)であったこと、日本における「反国家団体」の動きを綿密に内査しない、これを「首魁」金大中氏に結びつける工作を担当していた一人が鮮于煇の直系の子分であり、おそらくその功績のためでありましょうが、一介の新聞記者(朝鮮日報東京特派員)から一足跳びに、駐日公使、統一院長官に垂直急上昇をとげることになる許文道であったこと。もう一人は本国の独裁政権からの迫害を逃れて亡命したという触れこみで日本にやってきてから約20年間、安江氏を始め安江氏の周辺にいる日本の著名な知識人を取りこむ工作に専念した人物が、鮮于煇とは同郷(平安北道定州)の出身であり、鮮于煇が生前「わが刎頸(ふんけい)の友」なりと称して親密さを誇りにしてやまなかった池明観(注・翰林大学校翰林科学院日本学研究所所長)であったこと、そして許文道並びに池明観は、ひそかに接触を保ちながら連携プレイを演じていたことぐらいはこの時点で明らかにしておいてもよいでしょう。
鄭 …池明観氏の「刎頸の友」鮮于煇氏が死んだときのことは、この間の安江氏の葬儀との関連で一言書いておかざるをえません。鮮于煇氏が突然息を引きとったあと、月刊「朝鮮」(86・4号)は韓国人の友人としてはただ1人の代表として池明観氏の哀切極まりない弔辞を掲載しました(もう1人は日本の友人を代表した吉岡忍氏)。
( ´H`)y-~~…朴正煕、安江良介、池明観(T.K生)と怪しい人名てんこ盛り過ぎて話半分に聞いておく必要がありそうではあるが、朝鮮日報主筆として、日韓関係でも活躍したことは確かなんだろうと思う。
鮮于鉦記者と日本の間には、なかなか奇妙な縁があるらしい。
(補足)
鮮于鉦と鮮于煇との関係については毎日新聞OBの下川正晴氏のブログ
http://www.voiceblog.jp/shimokawa502/m200812.html
に
実は、僕が毎日新聞ソウル支局長だったころ、提携先である朝鮮日報の幹部に「受験生たちの日本語能力を試してくれ」と頼まれて、何人か面接したことがある。その受験生の中に彼がいた(と記憶している)。
姓が「鮮于」(ソヌ)、名前が「鉦」(ジョン)。朝鮮日報で「鮮于」と言えば、主筆を務めた著名な小説家の鮮于輝(ソヌ・ヒ、1922年生まれ)さんだ。関川夏央『「ただの人」の人生』(文芸春秋、1993年)に詳しい。鮮于輝・司馬遼太郎ほか『日韓ソウルの友情』(中公文庫、1988年)という座談本もある。現職の東京特派員は、その最後の子息だ。1986年に父親は亡くなった。
という記述があり、ほぼ間違いないかと思われます。
( ^H^ )y-~~kimuraお兄さんが飼っているねこは、たぶん、古代エジプト人が猫を飼い始めるようになってから現在までの間に人類と接した全ての猫よりかわいい。…かわいらしさの進化というものがあるとすれば、その頂点に立つ生物がkimuraお兄さんが飼っているねこだと思う。…ねこ~ねこ~♪