( *H*)y-~~自己分析する韓国人【韓国時事】
( *H*)y-~~今日は良い記事があってもkimuraお兄さんの思考能力がダメダメなので、簡単に。
原文
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2007/04/23/2007042300996.html
翻訳
http://j2k.naver.com/j2k.php/japan/http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2007/04/23/2007042300996.html(朝鮮日報4月23日)
[時事評論] ‘集団的罪の思い’ 症侯群
林志弦漢陽大史学科教授
バージニア工科大の聡気惨事以後大統領から一般市民に至るまで犠牲者たちの苦痛と不幸に送る韓国社会の追慕方式は格別だった.
ノ・ムヒョン大統領の異例的場所での火急な弔意表明, 自省の意味で 32日間禁食しようという駐米大使のびっくり提案, BBC ニュースインターネット版の初デッグルで走っている一韓国人の “私たちは本当にすまない”と言うコメント, 韓国人という理由だけでアメリカ社会で不利益を受けないかと思う楽しさ海外同胞社会の恐れなどは大部分の外信記者たちにまことに理解しにくい不思議だったろう.
中略
返事は簡単だ. バージニア工科大聡気惨事の犯人がゾスングフィという韓国人ということにある. 内気ひとりぽっちの怒りと以上(異常) 性格が呼んだ個人的犯罪が韓国社会の文脈では韓国人の犯罪に解釈されて, 韓国人ならこの事件の犠牲者たちに対して ‘集団的罪の思い’を感じるとかあるいは自ら罪の思いを強要したのだ.
中略
逆説的にもこれ ‘集団的罪の思い’は事実上韓国社会が植民主義の過去と係わって日本社会に強要した論理でもある. 個別行為者の具体的行動ではなくどの民族に属しているかを基準で人間と歴史を裁断する民族主義の論理がブーメランになって自虐の論理で戻ったのだ.
ひとりひとりの具体的行為とかかわらず日本民族全体に植民主義の責任を問う ‘集団的有罪’の論理は, すべての日本人を一つで縛ることで, 単一な日本国民を作るという日本右派の目標に反射的に寄与して来た. 他の一方でその論理は日本民族=植民主義の加害者=‘集団的有罪’ 対(対) 韓国民族=植民主義の被害者=‘集団的無罪’という対立項を上程する. ‘洋子話’に対する韓国社会の神経質的反応でもよく現われたように, この図式的二分法は植民主義の被害者である韓国人も加害者になることができるという可能性を拒否する.
去る一週間極まった韓国人たちの ‘集団的罪の思い’は事実上すべての韓国人は犠牲者という集団的犠牲者意識の神話が崩れたことから始まった精神的恐慌の産物だ. 犠牲者意識は解放以後南と北で ‘出なさいない民の悲しみを経験しないためには’ リーダーを中心に国家的プロジェクトに積極的に参加しなければならないという民族主義の権力論理を正当化して来た.
‘韓国人’なら国の命令に応じて喜んで個人を捨てて民族主義のユニホームで着替えたまま自発的動員体制に互応したりした ‘大衆独裁’の集団心性がいくらしつこいかを今度騷動はよく見せてくれる. そんな点で韓国社会の民主化はまだ行く道が遠かったのか分からない.
( ´H`)y-~~なかなかの分析だと思うが、kimuraお兄さん的に違うんじゃないかと思うこととしては、
・林志弦教授は「民族主義の論理」と言うが、韓国人の自分勝手なウリナラスタンダードの源は「民族主義」にすら至っていない「ウリ(我々)中心主義」に過ぎないのではないかと思う。
*突っ込みどころ追加
>すべての日本人を一つで縛ることで, 単一な日本国民を作るという日本右派の目標に反射的に寄与して来た.
( ´H`)y-~~相変わらず「民族」と「国民」の区別がついてないなぁ。(w
でもまぁ、自分勝手なやり方で日本を非難してきた韓国人が同じ秤にかけられることになったわけで、そのことで「韓国人は被害者」という絶対的な神話が崩れかけたという分析は妥当かなとは思う。…ただ、鍋根性で有名な韓国人のことだから、しばらくしたらこんな事件のことも都合良く忘れて、現代の国際社会に適応するために必要な自省もせずに元に戻りそうではある。
そうなったときに「所詮は韓国人だから」と見放すのも一つの考え方かも知れないが、韓国を心から愛するkimuraお兄さんとしては、微力ながらも、なんとか韓国人に対する総括援助を続けていきたいと思う。
( ´H`)y-~~ああ、ボクってなんて「思いやり」にあふれる良心的日本人なんだろう。