< `∀´>琉球王国はウリナラ起源nida!【韓国文化:おまけネタ】
( ´H`)y-~~さて、おまけネタ。おまけなのでシンプルに。
原文
http://www.donga.com/fbin/output?n=200707180054&top20=1
翻訳
http://j2k.naver.com/j2k.php/japan/http://www.donga.com/fbin/output?n=200707180054&top20=1(東亜日報7月18日)
三別抄が琉球王国の基礎立てた
「高麗三別抄が作った瓦一枚が日本の沖繩、琉球王国建国の秘密を明かにした。その建国の基盤を用意し決定的に寄与した人々はまさしく三別抄の軍隊だった。」
12世紀までは新石器時代の生活文化水準にとどまり、15世紀に初めて国家を立て16世紀まで繁栄を享受した後、19世紀末日本に服属させられた琉球王国。その琉球王国は高麗武臣政権の軍隊だった三別抄が基礎を用意したという新しい指摘が出た。
中略
このような研究成果は今度の特別展に出品される、沖繩出土瓦を国内の高麗瓦と比較検討する過程から出たのだ。
中略
珍島勇将山城はモンゴルが高麗を侵略した時、三別抄軍が大蒙抗争の根拠にしていた場所だ。勇将山城から出た瓦は三別抄軍の瓦職人たちが作ったもので、沖繩瓦と製作技法や形態が同一系統であることが確認された。
中略
これに対して丁館長は「三別抄の大型建築工事参加は、立派に完成した建築物を通じ琉球の人たちに勢力の集団化と共同体の意味を伝え、琉球人が王国を建設するのに三別抄が決定的に寄与した」と解釈した。
(訳文は2ちゃんねるのものを使用)
( ´H`)y-~~ま、三別抄たって、韓国人は
< `∀´>勇猛果敢でしたね!
と、自慢したりするけど、ボクが昔読んだ井上靖の「風涛」では、高麗王朝の言うことを聞かずに勝手に抵抗を続けた迷惑な連中という描かれ方だった。
wikiの記述にもこう書かれてたりする。
林衍らは降伏を不服とし、69年には国王元宗を廃して再び政権を掌握する。モンゴルは林衍討伐を名目に進軍し、林衍は三別抄らを動員して抵抗するが、その最中に死去。70年5月には子の林惟茂も倒され、武臣政権は崩壊。元宗は江華島から開城へ戻る。武臣政権の私兵集団である三別抄に対しては元宗は解散を命じるが、1270年5月、三別抄将軍の裴仲孫、夜別抄の盧永禧らは宗室の承化江温を推戴し、江華島を本拠に独立。三別抄の挙兵理由に関しては、もともと反モンゴル的性格であったことと、将兵の討伐を恐れたためと考えられている。また、独自に官吏の任命も行っており、高麗王朝を否定した新王朝樹立を目指すものであったとも言われる。
・・・たぶん、一般的な見方なんだろうけど…国家存亡の危機でも、普通に内輪もめって、なんかやっぱり朝鮮人だなぁと。w
さて、記事のほうへは、enjoy koreaのスレッドのコメントでナイスな突っ込みがあったので、紹介。
faceless 07-18 18:25
瓦一枚で妄想しすぎ(w
( ´H`)y-~~…ったく。w
( ´H`)y-~~復活そうそうなので、慣らし運転♪