( ´H`)y-~~いいえ、韓国人です。韓国は日本の植民地でした【韓国時事】
( ´H`)y-~~昨日、休んだのは脳がエラーを起こしたから。
理由は以下。
原文
http://www.donga.com/fbin/output?f=i_s&n=200708170014&main=1
翻訳
http://j2k.naver.com/j2k.php/japan/http://www.donga.com/fbin/output?f=i_s&n=200708170014&main=1(東亜日報8月17日)
[光化門で/ユ・ユンジョン]日本の国家自閉症
(東亜日報)「日本人ですか?」ドイツ、フランクフルトの大型書店だった。何時間も第ニ次世界大戦関連書籍だけいじくり回す東洋人が変に見えたようだ。「いいえ、韓国人です。韓国は日本の植民地でした」と答えた。言葉が出たついでに一言加えた。「日本は戦犯を称える施設に総理が参拜します。ドイツならば考えられない事です。」相手は肩をすくめながら言い返した。「そうですね、ドイツは連合軍が進撃して占領してしまったんです。日本はアメリカと交渉して戦争を終わらせたから。」
予想外の言葉だった。「ドイツはユダヤ人数百万人を殺したので罪質が違う」と言うような反応を予想したが、違った。当時はヨーロッパで第二次大戦が終わった5月だった。多くの新聞、雑誌の特集記事でも「日本は本土を占領されない状態で降伏して国体を保全した」と言う表現が見られた。両国
はどちらも侵略戦争で敗れた。その結果、ナチスドイツは完全に清算されたが、日本は天皇の存在と国家の連続性を維持した。「戦争は仕方なかった」という意識までも清算されなかった。(面倒なので後半省略。訳文は2ちゃんねるのものを使用)
( ´H`)y-~~…
…なんかね、ポルナレフのAA状態。
早速、流行語に。
【「韓国は日本の植民地でした」のガイドライン(2ちゃんねる)】
ま、そんなこんなで、韓国ではいまだにドイツとの比較論が盛んなわけだが、こういう記事も。
原文
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2007/08/17/2007081701135.html
翻訳
http://j2k.naver.com/j2k.php/japan/http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2007/08/17/2007081701135.html(朝鮮日報8月17日)
ユダヤ人虐殺の主役ドイツ “私たちも犠牲者だ”
犠牲者としての独逸人
(原題 Germans As Victims:
Remembering the Past in Contemporary Germany)‘洋子話’を取り囲んだ論難が盛んでいた去る冬, この本を読んだ. ‘犠牲者としての独逸人’という題目自体が ‘洋子話’と係わって気を引いたからだ. ホロコーストという反人倫的犯罪の加害者である独逸人たちが自分を犠牲者に憶えるということはどうしても変ではないか? ドイツで犠牲の記憶は洋子の個人的記憶あるいは日本右派の集団的記憶方式とどう違ってまたどんなに同じだか?
太平洋向こうアメリカ東部で発火されて韓国で火の粉が目立った ‘洋子話’で問題になった部分は比較的簡単だ. 植民主義の被害者である韓国人たちを加害者に描いて, 加害者だった日本人たちはむしろ被害者に描いているというのだ. この指摘は当たったり違ったりする. 植民地経験をおいてみる時 ‘韓国人=犠牲者対(対) 日本人=加害者’という等式は概して当たるが, 現実をすごく単純化させるという点では違う.
中略
ドイツ民間人たちの犠牲をナチの残虐行為で取り残してタルヨックサ化させるドイツの集団記憶はアトミックボム被害を殖民主義的侵略の歴史でタルメックラック化させる日本の集団記憶方式と特に違わない. ホロコーストと南京虐殺の加害主体が犠牲者に化けるこの記憶の魔術は加害者と犠牲者の境界が可変的なのをドロネズンダ. 犠牲者たちが加害者たちより必ず道徳的に優越なことではない. 版を覆してこれ以上犠牲者ではなく加害者にならなくちゃいけないと言う欲望が支配するたいてい, 今日の犠牲者たちは明日の潜在的加害者であるだけだ.
( ´H`)y-~~そら、ドイツでもそういう声はあるんだろうなぁ。しかし、韓国人とユダヤ人とじゃ立場が違うと言うか加害者の癖に被害者を装っているのは誰かと。
( ´H`)y-~~ドイツの場合は周囲も一応、文明国だしな。