( ´H`)y-~~多文化共生【韓国文化:時事】
( ´H`)y-~~さて、日本でも多文化共生が話題になったりするけど、韓国でもこういうコラムが。
原文
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2009/12/07/2009120701452.html
翻訳
http://j2k.naver.com/k2j_frame.php/japanese/news.chosun.com/site/data/html_dir/2009/12/07/2009120701452.html(朝鮮日報12月7日)
[チョソンデスク]ドバイと多文化競争力
一時'砂漠の奇跡'と賞賛を受けたドバイが座礁危機に処しよう'借金で作った砂上の楼閣','スコップ作業経済の終末'という皮肉があふれている。世界最高層ビルディング Buzzドバイ,砂漠でスキーをするスキードーム,海に世界地図を描いた人工島….想像力の限界を跳び越える各種不動産開発が全世界の関心を集めたが,過剰投資がドバイの困難に陥った。
中略
不動産供給過剰と過度な借金によってドバイの経済は相当期間沈滞を体験することで世界最高・最大の開発事業らは取り消しになるだろう。 だがドバイが多文化と開放政策をあきらめないならば中東の金融・貿易・観光ハーブという地位は簡単に揺れないだろう。
中略
80年代先端技術を吐き出した日本が長期沈滞を繰り返しているのも多文化伝統の欠如のためという分析が出てくる。20世紀製造業は昼夜なしに走る日本の産業戦士らが主導した。 だが21世紀経済を導くIT・バイオ・金融・文化産業は産業戦士でなく創造的人材(人災)(creative class)らが作り出す。 シリコンバレーのように全世界の創造的人材(人災)をかき集めることができてこそ世界を導く先端技術と革新企業が花が咲く。 日本は移民を極度に制限するなど多文化に対して保守的なので外国人材が避けたしこれが競争力を落としたということだ。 韓国が真にアジアの金融・観光ハーブになろうとするなら外国の人材(人災)らが生きたい多文化的環境と制度を作らなければならないだろう。
Φ< @∀@> ドバイは多文化社会なので底力があるニダ!それにくらべて日本は閉鎖的だからダメニダ!
( ´H`)y-~~日本のメディアでもよくある論法…さて、読者の韓国人はどう見ているか、コメント欄から。
金華洞(surlgyung)
低級不法滞留外国人労働者,低質原語民講師とともにでひたすら実家にドン・プチル目的で農村チョンガーと結婚してお金くれなければともすると逃げる自称結婚移住女性らが含まれた多文化ではないでしょう?その[2009.12.08 21:24:34]
イ・サンギュ(lsk0255)
我が国にドバイのような都市ができて金融ハブと観光も市になるならばほとんどだ外国系巨大金融資本が投資した金融機関であるだろうしそこに従事する職員とマネジャーらも大多数外国人であるだろうしまた多くのホテルらも外国系資本が投資したホテルらであるだろうし結局我が国の人々がすることができる働き口は彼らが利用する食堂とか消費業種の従業員やホテルの従業員であるが社説がちょっと火快漢感じだ。[2009.12.08 14:53:53]
イ・サンギュ(lsk0255)
世界金融ハブという英国ロンドンが今回の世界金融危機にどのようになったか?金融ハブの虚像が如実にあらわれなかったか?基本的に私たちの人間の生に必要なのを生産する製造業が後押しされない金融だけの発展は俗な言い方で高貴なピワタムをトゥンチョモッコサはお金商売であるだけだ。ニューヨークのウォール街が活況だと米国人ら働き口創出に何か多いに役に立ったのか?ファンドマネジャーらお金祭りも広がるだけだ。[2009.12.08 01:54:22]
パク・チョンジュン(bassbin)
我が国をまるごと外勢に捧げて金融,観光ハーブなる方式はいったいそんなにして何か意味があるかを自問して見る必要があると見て,大英帝国-香港,イスラム圏-ドバイの関係をおいてみた時結局にはオランダにあったユダヤ資本が英国,米国に移った事例をおいてみるならば金融ハブは製造業基盤を崩れさして,国権を外勢に譲り渡す結果がもたらされる危険があって無理と見ます。[2009.12.08 01:52:26]
庫税号(elan)
一言で詭弁だ。日本が長期沈滞を体験するのは彼らの経済市場構造のためであって創意性でも誠実さが足りなかった訳ではない。日本をさらに詳しく見て習っても足りない時にこういうたわごとや年火傷をするとは....[2009.12.08 01:50:10]
( ´H`)y-~~保守系メディアのコメント欄と言うこともあるのかも知れないが、反対意見が多い。もともと韓国は閉鎖的ではあったし、近年その弊害も指摘され「グローバル化」へと向けた動きの一環の記事ではあるとは思うが、ドバイおよび日本の現状分析は甘いと思う。
kimuraお兄さんはあながち多文化社会を否定するわけではないが、それにはメリットもあるかも知れないがデメリットも少なくない…そのことは日本も過去に相当の授業料を払って学んできたし、文化の相違とは言っても、これまで「隣の国」であるはずの韓国との比較でボクとかは見てきたが、そこにはものすごく深い溝があり、相互に理解しあうためにはおそらく相当の時間が必要であろう。
実現可能性を考慮すれば、可視的な未来ではなく、かなり先の話として考えるべき課題であろうかと思う。
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( ´H`)y-~~まあ、少なくとも数世代は先の話と考えるべきでしょうね。