( ´H`)y-~~涙くんさよなら【韓国時事:文化的相違:鮮于鉦】
( ´H`)y-~~ボクが定点観測してる朝鮮日報東京特派員鮮于鉦のコラムから。
今日は腹が立つとか感心するとかよりも、どちらかというと「違和感」を感じたので。
>バンクーバー冬季五輪のフィギュアスケート競技が行われた26日、東京都心のテレビの前に集まった数百人の群衆の中に身を置いてみた。日本での反応を肌で感じたかったからだ。記者はその冷ややかさに驚いた。浅田真央の演技が終わり、競技結果が確定しても、銀メダルを祝福する拍手は全くなかった。群衆は沈黙したまま立ち去っていった。しかし、その冷ややかな雰囲気を一変させたのは浅田がそれまで我慢してきた涙だった。「本当に長かったというか、あっという間でした」という浅田の言葉からは、さまざまな欲望を抱きながら瞬間瞬間を送ってきた人生が感じ取れ、胸が高ぶる思いだった。韓国の一部で問題になった「悔しい」という言葉は、相手と自分の壁を超えられなかった悔しさを意味するものと受け取るべきだろう。
>今の日本に必要なのは激励よりは反省と分析ではなかろうか。浅田はライバルの演技を無視したキム・ヨナの度量から学ばなければならない。しかし、感じられるのは涙に対する激励と慰労だけだ。皮肉を言っているわけではない。浅田がいなければ、キム・ヨナの金メダルもこれほど輝かしくはなかったはずだ。トヨタがいたからこそ、現代もここまでやってきたのだ。韓国は厳しいライバル日本がこれからも必要だ。
>上を向いて歩こう。涙がこぼれないように-。涙が目からこぼれ落ちないように冷静に自分を改革しようとする健康な日本を見たいものだ。今は涙が多すぎる。
( ´H`)y-~~先ずは浅田真央が言った「悔しい」という言葉に対する日韓の温度差から。実は韓国では冬季オリンピック関連記事のコメント欄などでもあるが、一部韓国言論やネットでの韓国人の意見に浅田の「悔しい」という発言は
<♯`Д´>キム・ヨナに負けたのに判定が不服で悔しいと言ってるニダ!
…とかいうものがあったりするのだが、ボクが日本人的に見た場合には「ミスがなかったとしてもキム・ヨナの点数にはとどかなかったかも知れないが、自分の全力を出し切れなくて残念で悔しい」という意味だと思うのだけれども、このあたりも日韓の感覚の相違があるのか違和感を感じる。
また、「涙」そのものについても日韓で温度差があるような気がする。
日本人の涙はこういう場合…大きな困難や苦しみに当たったときに、その苦しみを洗い流し、前に進むための浄化の涙だと思うのだが、韓国人の場合は苦しみを「恨」として心の奥底に抱えたままその苦しみに涙するというような微妙な感覚の相違があるような気がする。
正直、何年も韓国を見てきたボクにも自信はないし、こうだと断言することは出来ないのだけれども、日韓の間には同じように見える事柄の奥底にも、微妙で、それでいて極めて根が深い相違があるということは確かだと思う。
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( ´H`)y-~~分からないことは沢山あるよね。