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( ´H`)y-~~ボクのパパの話(1)

( ´H`)y-~~お久しぶり。まあ、半島関連では大きなネタもある今日この頃ですが、なんかここ数ヶ月忙しかったし、めんどうだったのでつい休んでました。

休んでいたとは言ってもtwitterなどではネタ拾いは続けて居るんですが、どうも細かく読み込んでみようと言う気力がまだ湧かなくて…というか、ぶっちゃけ最近は日本の方がgdgd過ぎるし、それに半島有事なんか地理的、国際的位相は朝鮮戦争の時から変わってないわけで、米中の方に注目しないと何とも言えないんだよね。

と、いうわけでしばらくの間はリハビリがてら身の回りの話とかを適当に。

先日、パパの戸籍を通してみる機会があったんだけど、この戸籍、昭和16年に亡くなった父方のひいじいちゃんの代から載っていて、「これ、史料だよな」と思ったので、パパの話とかを少し。

もともとはパパは木村姓じゃなくて小原姓だったんだけど、昭和40年にママと結婚したときにママの方の姓にしたので、小原家の方から始まるのでわりと長い戸籍だったりする。で、パパは小原家に昭和3年に生まれた。まあ、時代としてはろくでもない時代に幼少期を過ごしているわけだがなかなか愉快な幼少期であったらしい。

7人兄弟の4男として生まれ、小豆島の田舎の家なので、割と生命力があったらしい。身長は150センチ程度で当時としても低い方だったらしいが、元気に育ったのだそうなw…実は戸籍を見ると7人以外に3人、女子がいるのだが、幼くして戦前に亡くなっている。そんな時代にパパは近所の池にラムネ瓶にカーバイド詰め込んだ爆弾放り込んで漁をしてこっぴどく怒られたりとか、立派な悪ガキとして育ったのだそうな。

その当時は今よりも小豆島の人口も多かったので小学校もたくさんあったが、現在はパパが通っていた小学校は無い。ただ、小学校の跡地に公民館とかがあって、グラウンドもある。小学校跡の記念碑もあるが、国旗などを掲揚するポールの土台には皇太子(今上天皇)生誕記念と彫り込まれていて、古い写真を見ると、その隣に奉安殿があったらしい。

むろん、戦前のことなので、進学率も高くは無いんだけど、旧制の中学校は小豆島にあったので小学校を出た後はそこに進んだらしい。


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