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( ´H`)y-~~ボクのパパの話(7)

( ´H`)y-~~今回は「ボクのパパの話」と言いながらも「ボクのママの話(1)」を。

戸籍を見るとママは昭和13年に生まれている。14年というのはボクの勘違いだったのか…あるいは…実はママはボクが中学校に上がるまで実の子であるボクに5歳年齢をサバ読んで教えてた…「周りのお母さんより年上だから気兼ねしないように…」とか言ってたけど、やっぱりママも相当変わり者ではあった。ただ、それが通用する…あるいはそれ以上に若く見えるママではあった。ボクの記憶でも集合写真とか見ても年齢より若く見えたし、それは最期までそうだった。

戦中戦後の記憶はまだ子供だったのでパパほどはっきりとは覚えていないが、幼心に高松が空襲で燃え上がっている様子が小豆島からでも見えたのがとても怖かったと言っていた。パパも満州から内地に帰ったとき、まさか内地がここまで荒れ果てているとは思っていなかったそうな。

まあ、戦争を経験した世代にとって戦争は無条件にイヤなもんだ。

ママの血縁関係は実は複雑なんだけど、事実上、ママは老夫婦の一人娘として育つ。
しかし、若い頃の事故で体に障害が残っていたという母方の祖父は昭和30年代に亡くなり、結婚前は祖母と2人で貧しい暮らしであったらしい。この祖母はボクの記憶にもある。

ボクが幼児のころ、大阪で一緒に亡くなるまで生活していた。ずっと後で聞いたけど、大阪に引き取ったとき、既に肝臓癌に冒されていて、余生を家族でと言うことだったらしいが、幼児のボクはそんなことは知らずにお婆ちゃんにすごくなついて可愛がって貰っていた。

亡くなる前に「良い孫が出来た」と喜んでいたそうで、何も知らなかったけどたぶん幼少時のボクは生まれてきただけで周りに喜んでもらえてたのだろうと思う。結局、ボクが小学校に上がる前に亡くなった。なので、ドラえもんでのび太のおばあちゃんにタイムマシンで会う話とかは思い出すだけで涙が出てくる。

さて、これで終わればいい話なのだが、この母方のばあちゃんの少し歴史に関わるエピソードを。

うちの近所に神社があるんだけど、ばあちゃんは「あそこは御利益がない」と言ったそうな。理由は「聖戦の時、毎日、皇軍が勝ちますようにとみんなでおがんだけど負けた」

また、豆腐屋もやってたんだけど、戦後は豆腐作りに使った鍋釜の類は全くなくなっていて、木製の氷冷蔵庫だけが残されていた。理由は、金属の供出に喜んで応じたから。

あと、戦後ものすごく貧乏だったんだけど、それはなけなしの貯金を満州国債権とかに「お国のため」として投じたから…

…その、何だ…ボクが子供の頃は今より世の中が左寄りで教育も戦争中のことに関しては軍が戦争に向かわせたみたいなことを言ってたけど、このエピソードを聞いたとき「もしかして学校で習っていることやテレビや新聞で言うことはウソが混じってるんじゃないか…国民、ノリノリやったやん」と思ったものである。

没後、几帳面なばあちゃんが綺麗に整理していた遺品の中から日本の地図が出てきた…ただし、大日本帝国最大版図が赤く記されている地図。

小豆島ってわりと全国的に有名な反戦小説の舞台でもあるんだけど、当時の住民は、ばあちゃんの話もそうだけど、いろいろ聞くとすげえ好戦的。

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