( ´H`)y-~~ボクのパパの話(11)
( ´H`)y-~~パパが入院してから何年も何年も同じようなことの繰り返しだったような気がする。
毎年、具合が悪くなると医者に病状を説明され、暗に最悪の事態を覚悟するように言われ、でもパパはがんばり続けて、少し回復…そんなことの繰り返し。
その間、ずっとギリギリの生活を続けた。パパの命も綱渡りだったけど家族も綱渡りだったように思う。でも、そんなことを繰り返しながら段々とパパの様態は悪くなり、人工呼吸器で安定させる時間が長くなって、体力も弱って体の動きが少なくなり目を開けて反応することも少なくなってきた。
入院してすぐに気管切開をしたので会話が出来ずコミュニケーションには苦労したけど、それでも家族だから表情で何を言いたいかはだいたい分かったし、目の色というか、そういうのでずっと意識はしっかりしているというのも分かり、それが辛かった。
景気も雇用もよくない時代…再就職もボクの年齢とかを考えると難しくなってきて、ちゃんとした人生をやり直すのは無理になってきていたけど、「どうせちゃんとした仕事には向いてない性格だし~結婚とかもどう考えても向いてないし~一人で気楽に生きて行ければいいし~」…と、この頃は自分でそう思っていたし、何よりも自分がそうしたいと思ったことをしているだけだと思っていた。
もうほとんど反応を示さなくなったパパを見て…ボクはたとえ目を開けなくても、寝たきりでも、とにかく、ただ生きていさえしてくれればいい、ボクの人生なんかどうとでもなる…そう思って過ごしてきた…が、そんな日々にも終わりがやってくる。
夏の暑さがようやく去って涼しい風が吹くようになった頃の早朝、病院から様態が悪化したので来るように言われた…が、ボクと弟が病室の近くに着いたとき、いつも動いていた人工呼吸器の音がしないこと気がつき、その時ボクらは全てを悟った。
パパに関する記録…戸籍の最後にはこう記されている。
【死亡日】平成22年9月○日
【死亡時分】午前6時50分
【死亡地】香川県小豆郡○○
【届出日】平成22年9月○日
【届出人】木村延夫