( *H*)y-~~さてさて、今日は楽をするつもりだったけど、やっぱり日本のネットでも反響が大きかった記事も取り上げてみる。
…と、いうわけで、lolottaお姉さんも大好き、鮮于鉦特派員の記事を紹介。
【【コラム】東京の路地で日本を再発見する(上)】(朝鮮日報5月8日)
【【コラム】東京の路地で日本を再発見する(上)】(朝鮮日報5月8日)
>今度は中央区佃を訪れた。あまり裕福ではない高齢者が多く住む地区だ。両脇に黒ずんだ木造住宅が並ぶ、幅1メートルほどの狭い路地を歩いた。ここの地面は、きれいに敷き詰められた石畳ではなく、ただのセメントだった。それでも、はがれたり割れたりしたところのない、きれいな状態だった。古いものと見受けられたが、砂ぼこりや汚れも目立たなかった。こうした界わいに予想される不快なにおいも感じられなかった。
>毎日路地の掃除を欠かさない数多くの住民たちが、日々東京を少しずつ美しい街に変えていっているのだ。まるで東京の路地で日本を再発見したような気がした。一つ一つは小さくささいなことだが、こうしたことこそ日本を先進国たらしめている重要な要素なのだ。
( *H*)y-~~鮮于鉦記者と言えば、以前にもこういうコラムを書いていた。
【【コラム】東京・月島で考える韓日の二極化問題】(朝鮮日報2006年10月24日)
このときも、2ちゃんなどで「お前には下町とスラムの区別もつかないのか」と突っ込まれていたし、今回の記事にも違和感を感じる人は多いと思う。この点については、ボクもちょっと書いてみたいなとは前から思ってた。
実は、韓国では日本で言うような下町文化・庶民文化に相当する物が無いらしいのである。韓国について良く言われる朱子学的世界観に由来する物であるのだとかで、「知」と関わる領域はすべて単一の上昇系に組み込まれ、町の物知りというような世間と密接に関わった「知」の領域が発達せず、下層民の世界は理気論でいうところの「気」の世界あって、それは、ただひたすらに野放図で猥雑な世界であったのだそうな。
こういうときkimuraお兄さんが参考にする「朝鮮民族を読み解く」(ちくま文庫:古田博司)には以下のような記述がある。
知性も、禄も、力も上層階級に独占され、中産階級はなく、民間下層は油のように上の水を跳ね返していた。世間知がないので、町の物知りの御隠居もいなければ、横丁の紅羅坊名丸先生もいない。そういう知識のある人はみな偉くなってしまうのである。ここが日本と大違いのところで、野放図な八っつあん、熊さん、張三李四だけが町を闊歩していた。
( *H*)y-~~半島においては「知」は単一の上昇系に属し、下層とされた人々の間での文化の洗練をもたらさなかったために職人気質といった日本的な特徴も無いのだそうな。…だから、鮮于鉦記者も韓国人に日本の特徴的現象を紹介する場合に韓国に対応する物が無いので、こういう違和感のある表現にならざるを得ないのだと思う。ただ、こうした日本的な要素が日本的な発展の基礎にあるという洞察はかなり鋭いとボクは思ったりもするわけだ。
さてさて、では、韓国版記事のコメント欄から韓国人の意見も見てみよう。
• 以上峰 (pneumas) 6 1
そうだ. 国民皆が各自の空間で, また自ら先進国民で生まれかわらない限り, 私たちは決して日本に付いて行くことができないだろう. 正しくこんな小さくて細細しい姿を集中的に取材してくださる. 大きくて巨大なよりはこのようなものがもっと必要かも知れない. (05/08/2007 06:08:07)
( *H*)y-~~根底にあるのは韓国人の世界認識というかなり大きな物で、その世界観が近代的価値観との接点を見いだし得ない限り、韓国的な問題は残り続けるんじゃないかとボクは思う。
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( *H*)y-~~何故か疲れた。なにか憑いてるのかな?(笑)